なぜ年末に第九?理由と歴史を徹底解説!日本の風物詩になった秘密とは

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年末が近づくと、テレビや街なかで耳にする機会が増えるベートーヴェンの交響曲第九番、通称「第九」。壮大なメロディに心が躍る一方、どうして日本の年末に「第九」が演奏されるのか、その理由をご存知でしょうか。この記事では、年末の風物詩となった「第九」の秘密を紐解いていきます。実は、この習慣の始まりはオーケストラの資金難を救うためでした。それが戦後の復興への願いと重なり、日本独自の文化として根付いていったのです。日本で初めて演奏された意外な場所から、有名な「歓喜の歌」が持つ意味、そして初心者でも楽しめるコンサートの選び方まで、知っていると「第九」がもっと味わい深くなる情報をお届けします。今年の締めくくりに、新たな気持ちで「第九」に耳を傾けてみませんか。

目次

1. 年末の風物詩「第九」とはどんな曲か

年の瀬が近づくと、どこからともなく聴こえてくる壮大なメロディ。私たちにとってすっかりお馴染みの「第九」は、クラシック音楽の中でもひときわ特別な輝きを放つ名曲です。正式な名前は「交響曲第9番ニ短調作品125」といいますが、親しみを込めて「第九」と呼ばれていますね。この曲がなぜこれほどまでに私たちの心を捉え、年末の風物詩として愛され続けているのでしょうか。まずは、この偉大な曲そのものについて、少し詳しく見ていきましょう。

1.1 ベートーヴェンが最後に完成させた交響曲

「第九」を作曲したのは、「楽聖」として知られるドイツの作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンです。彼は生涯に9つの交響曲を残しましたが、この第九は文字通り、彼が心血を注いで完成させた最後の交響曲となりました。

驚くべきことに、この大曲が作られたとき、ベートーヴェンの耳はほとんど聴こえなくなっていたと言われています。自身の苦悩や絶望を乗り越え、全人類に向けた平和と喜びのメッセージを音楽に託したのです。その壮絶な背景を知ると、メロディがより一層、心に深く染み渡るように感じられませんか。

第九は、全部で4つの楽章(部分)から構成される、演奏時間が1時間を超える大作です。それぞれの楽章が持つ世界観を少し覗いてみましょう。

楽章特徴
第1楽章宇宙の始まりを思わせるような、神秘的で緊張感のある幕開け。苦悩や闘争が表現されています。
第2楽章ティンパニの力強いリズムが印象的な、躍動感あふれる楽章。エネルギッシュで情熱的です。
第3楽章うってかわって、天国のように穏やかで美しいメロディが流れます。心を静かに癒してくれるような楽章です。
第4楽章これまでの楽章のテーマが登場した後、いよいよ独唱と合唱が加わり、有名な「歓喜の歌」が高らかに歌い上げられます。

1.2 有名な「歓喜の歌」は第4楽章

多くの方が「第九」と聞いて思い浮かべる「ハレルヤ!」ではなく「フロイデ!」と歌われるあの有名なメロディ。実は、この曲のクライマックスである第4楽章で演奏される「歓喜の歌」と呼ばれる部分です。それまでのオーケストラだけの演奏に、突如として人の声(独唱と合唱)が加わるという構成は、当時の交響曲としては非常に画期的な試みでした。

この歌詞は、ベートーヴェンが深く感銘を受けたドイツの詩人、フリードリヒ・シラーの「歓喜に寄す(An die Freude)」という詩がもとになっています。そこには、人種や身分を超えて、すべての人々は兄弟になるのだという、平和と友愛のメッセージが込められています。

苦難の末にたどり着く歓喜。その普遍的なテーマと、オーケストラと合唱が一体となって生み出す圧倒的な高揚感が、聴く人の心を揺さぶり、大きな感動を呼ぶのです。この「歓喜の歌」のメロディは、現在では欧州連合(EU)の歌としても採用されており、世界中で愛されています。

2. なぜ年末に第九を演奏するのか その理由とは

年の瀬になると、あちらこちらのホールから聴こえてくるベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付き」。今ではすっかり日本の冬の風物詩ですが、なぜ年末に演奏されるようになったのか、ご存知でしょうか。実はその裏には、ちょっぴり現実的な、そして心温まる物語があったのです。

2.1 オーケストラの財政難を救うためだった

年末に第九が演奏されるようになった最も大きな理由は、なんとオーケストラの年末の資金集め、いわば「餅代(もちだい)稼ぎ」がきっかけだったと言われています。ちょっぴり夢のない話に聞こえるかもしれませんが、これも大切な歴史の一部なのですよ。

戦後の日本では、多くのオーケストラが厳しい財政状況にありました。特に年末は、楽団員のボーナスなどでお金が必要になる時期。そこで、お客さまがたくさん集まる人気の演目を演奏して、収入を確保する必要があったのです。

その点、第九は合唱団も加わる華やかな構成で、演奏時間も長く、年末の特別なコンサートにぴったりでした。そして何より、クライマックスの「歓喜の歌」が持つ、一年を締めくくり新しい年を迎える高揚感と希望に満ちた雰囲気が、多くの人々の心を掴んだのです。こうして、お客さまに喜ばれ、オーケストラの経営も助ける「年末の第九」が、少しずつ広まっていきました。

2.2 NHK交響楽団が年末の第九を定着させた

オーケストラの懐事情から始まった「年末の第九」ですが、これを日本全国の文化として定着させた立役者がいます。それが、日本を代表するオーケストラ「NHK交響楽団」、通称「N響(エヌきょう)」です。

N響は戦後間もない頃から年末に第九を演奏していましたが、その習慣が全国に広まる大きなきっかけとなったのが、ラジオやテレビによる放送でした。特に、テレビ放送を通じて、ご家庭のお茶の間にも「年末の第九」が届けられるようになったことで、その知名度は一気に高まりました。

荘厳で感動的な演奏が、一年の労をねぎらい、新しい年への希望を与えてくれる。そんな特別な時間が、多くの人にとって年末に欠かせない行事となっていったのです。N響が長年にわたって続けてきた年末の第九公演が、今日の私たちの心にも深く根付いているのですね。

年代主な出来事
1940年代後半戦後、年末の定期演奏会で第九を取り上げるようになる。
1950年代ラジオ放送を通じて、年末の第九が広く知られるようになる。
1963年岩城宏之氏の指揮による第九公演がテレビで生中継され、大きな話題となる。
現在毎年12月に行われる「N響『第九』演奏会」は、チケット入手が困難なほどの人気公演となっている。

3. 年末の第九はいつから始まった?その歴史を解説

今ではすっかり「年末の第九」としておなじみですが、この習慣はいつ頃から始まったのでしょうか。実は、日本で初めて第九が演奏されたのは、年末ではなく初夏のこと。その歴史をたどると、心温まる物語と、戦後の日本が歩んできた道のりが見えてきます。

3.1 日本初演は徳島県の板東俘虜収容所

日本で初めてベートーヴェンの交響曲第九番が全楽章にわたって演奏されたのは、今から100年以上も前の1918年(大正7年)6月1日のこと。その舞台となったのは、なんと徳島県にあった「板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)」でした。

鳴門市ドイツ館

3.1.1 第一次世界大戦中のドイツ兵捕虜による演奏

演奏したのは、第一次世界大戦で日本の捕虜となったドイツ兵たちです。当時、この収容所の所長を務めていた松江豊寿(まつえ とよひさ)は、捕虜たちを敵国の兵士としてではなく、一人の人間として尊重し、人道的な扱いを徹底しました。彼の温かい配慮のもと、捕虜たちは自主的な活動を許され、パンを焼いたり、新聞を発行したりと、比較的に自由な生活を送っていたといいます。

その活動の一環として、収容所内にオーケストラが結成され、故郷を想うドイツ兵たちが心を込めて演奏したのが、この「第九」だったのです。このエピソードは、映画『バルトの楽園』でも描かれ、多くの人々に感動を与えました。国や立場を超えた音楽の力が、厳しい時代の中で人々の心をつないだのですね。

日本における第九初演の概要を、下の表にまとめてみました。

項目内容
演奏日1918年(大正7年)6月1日
場所徳島県 板東俘虜収容所
演奏者ドイツ兵捕虜で編成されたオーケストラと合唱団
背景松江豊寿所長の人道的な方針により、捕虜の自主的な文化活動が奨励されていた。
関連施設鳴門市ドイツ館(当時の資料などが展示されています)

3.2 戦後に年末の風物詩として広まる

板東での初演からしばらく経ち、第九が「年末」の行事として日本に定着し始めたのは、第二次世界大戦後のことです。

戦後の混乱期、多くのオーケストラは深刻な経営難にありました。その状況を乗り越えるため、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、1年の締めくくりに大編成で演奏する華やかな第九をプログラムに取り入れたのが大きなきっかけとなりました。これが大変な人気を博し、他のオーケストラも追随する形で、年末に第九を演奏する習慣が全国に広がっていったのです。

また、人々の暮らしが豊かになり始めた高度経済成長期には、1年間の苦労をねぎらい、新しい年に希望を託すという日本人の心情と、第九の「苦悩を乗り越え、歓喜へ」というテーマがぴったりと重なりました。ラジオやテレビ、レコードの普及も手伝って、第九はクラシック音楽の枠を超え、日本の年末に欠かせない文化的な風物詩として、私たちの心に深く根付いていったのでした。

4. 第九が日本の年末に根付いた文化的背景

オーケストラの資金集めがきっかけで始まった年末の第九。それがどうして、これほどまでに私たちの心をとらえ、年末の風物詩として深く根付いたのでしょうか。その背景には、第九が持つ力強いメッセージと、戦後の日本人が歩んできた道のりが重なり合う、特別な物語がありました。

4.1 「苦悩を乗り越え歓喜へ」が日本人の心に響いた

ベートーヴェンが長い苦悩の末に第九を完成させたように、この曲は「苦悩を突き抜け、歓喜に至る」という力強いテーマで貫かれています。特に、有名な「歓喜の歌」が登場する第4楽章は、そのクライマックス。暗く重たい雰囲気から一転し、高らかに歌い上げられる歓喜のメロディは、聴く人の心を揺さぶります。

この物語が、戦後の復興期にあった日本人の心に、強く響いたと言われています。戦争という大きな苦しみを乗り越え、未来への希望を胸に懸命に生きていた人々。その姿が、第九のテーマと見事に重なったのです。一年間の苦労をねぎらい、新しい年に向かって希望を新たにしたいと願う年末の時期に、第九のメッセージはぴったりと寄り添ってくれました。

第九のメッセージ当時の日本の人々の想い
苦悩から歓喜へ戦後の困難を乗り越え、復興と平和な未来へ
すべての人は兄弟になる平和を願い、人々が手を取り合う社会への憧れ

このように、第九は単なる美しい音楽としてだけでなく、人々の希望や祈りを映し出す鏡のような存在として、年末の日本に受け入れられていったのです。

4.2 合唱に参加する文化の広がり

第九が特別なのは、プロの演奏を「聴く」だけでなく、たくさんの人々が合唱で「参加する」文化が花開いたことにもあります。年末になると、全国各地で一般の合唱団員を募集する「第九コンサート」が開かれます。何ヶ月も練習を重ね、大勢の仲間たちと声を合わせて高らかに「歓喜の歌」を歌い上げる。その経験は、何物にも代えがたい達成感と感動を与えてくれます。

この「歌う」という楽しみ方が、第九をより身近で特別なものにしました。一年の締めくくりに仲間とひとつの目標に向かって努力し、大きな舞台で成果を発表する。こうした経験が、年末の恒例行事として多くの人の生活の中に溶け込んでいったのです。

4.2.1 サントリー1万人の第九の影響

合唱に参加する文化を全国に広める上で、非常に大きな役割を果たしたのが、1983年から続く「サントリー1万人の第九」です。その名の通り、1万人が集い「歓喜の歌」を大合唱する姿は圧巻で、毎年テレビでも放映されるため、多くの人が目にしたことがあるのではないでしょうか。

このイベントは、プロの音楽家だけでなく、一般の参加者が主役である点が画期的でした。この様子が広く知られたことで、「第九は年末に歌うもの」というイメージが定着し、「自分もいつか歌ってみたい」と憧れる人を増やしました。まさに、年末の第九を国民的なイベントへと押し上げた立役者といえるでしょう。詳しい情報はサントリー1万人の第九 公式サイトでご覧いただけます。

5. 年末に第九を聴きに行こう おすすめのコンサート

一年の締めくくりに、壮大な「第九」のメロディーに包まれてみませんか?年末になると、日本全国のコンサートホールで第九の演奏会が開かれます。生のオーケストラと合唱が織りなす音の迫力は、一度体験すると忘れられない感動を与えてくれます。ここでは、初めての方でも安心して楽しめるコンサートの選び方や、毎年恒例となっている有名な公演をご紹介します。今年一年を振り返り、新しい年への希望を胸に抱く、そんな特別な時間を過ごすための参考にしてくださいね。

5.1 初心者でも楽しめる第九コンサートの選び方

「クラシックコンサートは少し敷居が高いかも…」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。でも、ご安心ください。第九のコンサートは年末のお祭りとして、多くの方が楽しみにしているイベントです。いくつかのポイントを押さえるだけで、気軽に楽しむことができますよ。

  • 公演時間と休憩をチェック
    第九の演奏時間は、通常60分から70分ほどです。コンサート全体では、他の曲も演奏されることが多く、休憩を含めて2時間程度になるのが一般的です。事前にプログラムや公演時間を確認しておくと、当日の予定が立てやすく安心です。
  • 指揮者やオーケストラで選ぶ
    有名な指揮者や、お住まいの地域で親しまれているオーケストラの演奏会を選んでみるのも素敵です。また、ソリスト(独唱者)の声に惹かれてチケットを選ぶのも良いでしょう。たくさんの公演がありますから、ご自身の「お気に入り」を見つける楽しみもありますね。
  • 会場の雰囲気やアクセス
    歴史ある荘厳なコンサートホールから、地域の親しみやすい文化会館まで、会場の雰囲気は様々です。ご自宅からアクセスしやすい場所や、お好みの雰囲気の会場を選ぶのも、コンサートを心地よく楽しむための大切なポイントです。
  • チケットの価格と座席
    チケットの価格は、座席の位置によって大きく変わります。指揮者の表情や演奏者の手元までよく見えるS席から、ホール全体の響きを楽しめる後方の席まで、予算に合わせて選べます。まずは雰囲気を味わってみたいという方は、比較的リーズナブルな席から試してみるのもおすすめです。

何よりも大切なのは、リラックスして音楽そのものを楽しむ気持ちです。年末の特別な雰囲気を、ぜひ会場で味わってみてください。

5.2 全国各地で開催される有名な第九公演

日本全国で数多くの第九コンサートが開催されますが、その中でも特に有名で、長年にわたり多くの人々に愛されてきた公演をいくつかご紹介します。毎年多くのファンが心待ちにしている人気の公演ばかりです。

公演名特徴主な開催地
NHK交響楽団(N響)「第九」演奏会年末の第九の代名詞ともいえる、伝統と格式のあるコンサートです。日本を代表するオーケストラによる荘厳な演奏は、毎年多くの聴衆を魅了しています。東京(NHKホールなど)
サントリー1万人の第九公募で集まった1万人が歌い上げる合唱は圧巻の一言。オーケストラ、合唱団、そして観客が一体となる感動的な体験ができます。テレビでも放映される大規模なイベントです。大阪(大阪城ホール)
読売日本交響楽団「第九」演奏会N響と並び、首都圏で非常に人気の高い公演です。実力派の指揮者とソリストを迎え、毎年質の高い演奏を届けています。東京(サントリーホールなど)
地域のオーケストラによる第九東京や大阪だけでなく、全国各地のプロやアマチュアのオーケストラも、地域に根差した第九コンサートを開催しています。アットホームな雰囲気で楽しめるのも魅力です。全国各地

これらの公演は非常に人気が高く、チケットは発売後すぐに売り切れてしまうことも少なくありません。興味のある方は、秋頃から各オーケストラの公式ウェブサイトやチケット販売サイトの情報をこまめにチェックすることをおすすめします。一年の終わりに、心に響く感動のひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。

6. まとめ

年末になると街のあちこちで耳にする、ベートーヴェンの「第九」。なぜこの時期に演奏されるのか、その理由と歴史をたどってきました。もともとはオーケストラの運営を支えるための演奏会がきっかけとなり、やがてNHK交響楽団によって年末の恒例行事として日本中に広まっていったのでした。

日本での初演が第一次世界大戦中の捕虜収容所であったという意外な歴史を経て、戦後の人々の心に「苦悩を乗り越え歓喜へ」というテーマが深く響いたことも、第九が特別な存在となった大きな理由でしょう。「サントリー1万人の第九」のように、自ら合唱に参加する文化が花開いたことも、年末の風物詩として根付く後押しとなったのかもしれません。

一年を締めくくるこの季節に、荘厳で晴れやかな第九のメロディーに包まれながら、静かに今年を振り返り、来る年へ思いを馳せる。そんな豊かな時間を過ごしに、コンサートへ足を運んでみてはいかがでしょうか。高らかに歌い上げられる「歓喜の歌」が、あなたの心にも温かな希望を届けてくれることでしょう。

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この記事を書いた人

ハレノヒ編集部は、「わたしらしく、身軽に暮らす」をテーマに、日々の暮らしを前向きに楽しむためのヒントをお届けしています。
美容や健康、趣味、暮らしの工夫など、50代以降の女性を中心に、誰もが自分らしく輝けるような情報をやさしい目線で発信しています。
ちょっと気になる話題や、ふと心に残る言葉も添えて、皆さまの毎日が少し晴れやかになりますように。

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